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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・陳表  陳武の子は人格者



陳表(ちんひょう)字は文奥(ぶんおう)
呉の人(204~237)

猛将で知られた陳武(ちんぶ)の子。
若くして才覚に優れ、皇太子の孫登(そんとう)に仕え、諸葛恪(しょかつかく)、張休(ちょうきゅう)、顧譚(こたん)らと身分を超えた友人となり「四友」と呼ばれた。

人格者で知られ、それを示す数々の逸話が伝わる。
曁艶(きえん)が失脚した時に、かつて親しく付き合った人々が口を揃えて非難する中、陳表だけはそれに同調しなかった。

異母兄が亡くなると、陳表の母(陳武の側室)は兄の母(陳武の正室)を軽んじたため、夫の正室で息子の義母を侮るのは人倫に背くと忠告し、母の態度を改めさせ両者の関係を改善させた。

施明(しめい)という兵士が官品の横領をしていた。他に仲間がいたか尋ねられても頑として口を割らない彼に手を焼いた孫権は、兵の心をつかむのが上手い陳表に取り調べを命じた。
陳表は施明の手枷足枷を外させると、入浴させ酒食を与えて歓待した。感激した施明は罪と仲間の名を自白した。
孫権は施明の罪だけを許してやり、他の仲間は処刑した。施明は陳表の恩に報いようと発奮し、将軍にまで昇進した。

呂壱(りょいつ)が専権を振るい、逆らう者を投獄していた時、陳表は復讐を恐れず潘濬(はんしゅん)とともに無罪の者を救ってやった。

などの逸話が知られている。
34歳の若さで没すると、財産は残らず配下に分け与えていたため、無一文の遺族は危うく路頭に迷いかけた。
それを聞いた孫登は屋敷を与えてやったという。

陳寿は「身分の高くない武将の、それも庶子でありながら、名家の嫡子らと同様に重用され、同輩の中から抜きん出たのは素晴らしい」と、裴松之は「父以上の才能の持ち主だった」と評している。

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