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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―呉・鄭胄  呂壱に逆恨みされる

鄭胄(ていちゅう)字は敬先(けいせん)
豫州沛国の人(??~??)

呉の臣。
鄭札(ていさつ)の末子。

父は孫権に仕えて朝廷の儀礼制度を定めた人物で、鄭胄も文武両道に優れ若くして名を知られた。

建安太守の時、呂壱(りょいつ)の食客が罪を犯したため、厳しく取り調べ処刑した。呂壱はこれを恨み、讒言した。呂壱を寵愛する孫権は激怒し、鄭胄を殺そうとしたが、潘濬(はんしゅん)・陳表(ちんひょう)が命乞いをし赦された。

239年、魏から独立した公孫淵(こうそんえん)の援護のため、羊衜(ようどう)・鄭胄が使者として向かい、将軍の孫怡(そんい)が魏へ攻め込み、張持(ちょうじ)・高慮(こうりょ)を撃破し捕虜を得た。
しかし公孫淵は司馬懿によって討たれ、呉軍も結局は敗走したが、鄭胄は帰還後に執金吾に任じられた。(『呉主伝』)

257年8月、鄱陽と新都で民衆が反乱を起こしたため、歩兵校尉の鄭胄と、丁密(ていみつ)、鍾離牧(しょうりぼく)が討伐した。(『孫亮伝』)

子の鄭豊(ていほう)は文学的素養が高かった。(『呉主伝』)

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