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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・賀斉  反乱鎮圧のエキスパート



賀斉(がせい)字は公苗(こうびょう)
会稽郡山陰の人(?~227)

~経歴~
呉の将。
故郷で役人をしていたころ、斯従(しじゅう)という役人がゴロツキを集め任侠を気取っていた。
賀斉が治安を乱していた斯従を殺すと、その配下が一斉に役所に攻め寄せた。しかし賀斉は巧みな指揮でそれを打ち破り、一躍、名を轟かせた。
その後も各地を転任しては反乱鎮圧にあたり、ついに会稽を攻めていた孫策の目に止まった。孫策は会稽太守・王朗(おうろう)に加勢した商升(しょうしょう)に苦戦しており、賀斉に討伐を命じた。
商升はかねてより賀斉の勇名を知っていたので降伏を考えたが、それを不服に思った配下に殺されてしまった。兵力で劣る賀斉は内部分裂を誘い、大軍を打ち破ると、降伏した兵で軍団を編成した。
快進撃で一気に版図を拡大していた孫策は内政に時間を割けられず、各地で反乱を招いていた。しかし鎮圧軍の司令官となった賀斉は、まず自分に従わない副将を切り捨て軍規を引き締めると、反乱軍をことごとく平らげていった。
会稽を平定した賀斉は、ついで丹陽方面の反乱軍と戦った。敵は険しい林歴山に立てこもり守りを固めた。攻めあぐねた賀斉は100人あまりの決死隊をつのると、崖をよじ登り辺りの山に兵を潜ませ、一斉に鬨の声を上げさせた。山を完全に包囲されたと思った賊軍は浮き足立ち、賀斉はその隙をついて勝利を収めた。

賀斉は反乱鎮圧の手腕もさることながら、鎮圧後には基盤の安定につとめ、新たにその土地から軍勢を調達できるまでに治安を回復させるため、孫権からの信頼は厚かった。
孫権は「私が天下の覇者となるためにはお前の存在は欠かせない」と言い、自分の馬車に同乗させ、賀斉が任地に帰るときには行列を整え都の外まで見送るほどだった。
合肥の戦いの際には賀斉も駆り出され、魏軍と戦った。しかし合肥を守る張遼は巧みな用兵で呉軍を打ち破り、孫権は命からがら退却した。賀斉は涙を流して主君の安否を気づかい、孫権も深く反省した。

その後も賀斉は内では反乱を鎮め、外では魏軍の侵攻をたびたび防ぎ、多くの戦功を立てた。賀斉の軍はきらびやかな武具をまとい、凝った彫刻を凝らした軍船は山のように巨大だった。その豪奢な軍勢が現れただけで、曹休(そうきゅう)らは恐れをなして逃げ出したという。

呉に欠かせない名将であったが、不可解なことに『演義』には一切登場しない。『演義』の呉の人物に対する不当な扱いの大きな例である。

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