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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・滕胤  そいつは悪いニュースだ



滕胤(とういん)字は承嗣(しょうし)
青州北海国劇県の人(??~257)

滕家は青州から戦乱を避けて、代々血縁関係を結んでいた劉繇(りゅうよう)を頼り揚州へ移り住んだ。
はじめは伯父の滕耽(とうたん)が孫権に仕え、亡くなるとその弟の滕冑(とうちゅう)が跡を継ぎ、滕冑も没するとその子の滕胤が取り立てられた。
滕胤は色白で若くして行状正しく立ち振舞いが見事であり、早くから将来を見込まれ20歳で孫家の娘をめとった。

251年、危篤に陥った孫権の見舞いに赴くと、そのまま都に留め置かれ諸葛恪(しょかつかく)、孫峻(そんしゅん)とともに後事を託された。
孫亮(そんりょう)が二代皇帝に即位すると衛将軍となり軍事面にも口を出し、専横を始めていた諸葛恪の魏への遠征に反対した。遠征は強行されたが大敗し、滕胤の見識の高さが証明された。
その後、諸葛恪が孫峻らによって暗殺されると、娘が諸葛恪の息子に嫁いでいたため滕胤は辞職を願い出たが孫峻に却下された。
諸葛恪と入れ替わるように独裁色を強めた孫峻との関係は良好ではなかったが、どちらも表面上は相手を立てたため衝突することはなかった。

256年、孫峻が急死すると従弟の孫綝(そんちん)が跡を継いだ。
呂拠(りょきょ)はこれに危機感を抱き、諸将と連名で滕胤を丞相にするよう上奏した。しかし孫綝は滕胤を前線に送り中央から遠ざけようとしたため、呂拠は滕胤に挙兵を持ちかけた。
この動きを察知した孫綝は呂拠を攻撃させ、さらに華融(かゆう)らを送り滕胤の捕縛を命じた。滕胤も孫綝の企てに気づき、逆に華融を捕縛すると、脅迫して孫綝を批判させる書状を作らせた。
激怒した孫綝は滕胤も攻撃し、滕胤は自分の意に従わない華融らを殺した。
こうした激動に巻き込まれても滕胤の様子は普段と変わらず、何事もないように他人と談笑していたという。

呂拠が包囲を破り救援に来ることを期待していたが、孫綝は呂拠の配下に主の暗殺を命じていたため、呂拠は身動きできないまま自害し、滕胤もまた孫綝の大軍に敗れて捕らえられ、一族皆殺しとなった。
妻だけはその兄に助けられ魏へ亡命したとされるが、その後の行方はわからない。

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