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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・歩隲  呉の隠れた名将



歩隲(ほしつ)字は子山(しざん)
徐州臨淮郡淮陰の人(?~247)
 
呉の臣。
父の仇討ちに乗り出した曹操の虐殺から逃れ、江東に移り住んだ。瓜の栽培で生計を立てつつ学問に励み、孫権の目に留まり招かれた。
210年、交州の刺史に任じられると、孫権の下にいながらも異心を抱いていた近隣の太守・呉巨(ごきょ)を暗殺し声望を高めた。
交州に一大勢力を築いていた士燮(ししょう)も歩隲に従い、呉は南方との交易路を確保した。
しかし士燮への圧力を強めるため武官の呂岱(りょたい)が歩隲の後任に置かれると、荊州の防備に移った。その際には歩隲を慕い1万もの交州の民が従った。
劉備が関羽の仇討ちに侵攻すると、武陵の異民族(武陵蛮)が呼応したため、歩隲はその鎮圧に当たった。
孫権、そして太子の孫登(そんとう)からの信頼は厚く、求めに応じ信任すべき人物として陸遜、諸葛瑾(しょかつきん)、朱然(しゅぜん)らの名を上げ推薦した。ちなみに『演義』では逆に夷陵の戦いの際に陸遜の登用に反対している。
要衝の西陵(かつての夷陵)の守備を任され、陸遜が亡くなるとそのあとを継ぎついに丞相となったが、翌年に死去した。
冷静かつ寛大な性格で感情を表に出さず、質素を心がけたため誰からも慕われたが、妻妾の服装が華美に過ぎたことだけは非難を受けたという。

その身内に対する甘さが裏目に出たのだろうか、272年、次男の歩闡(ほせん)は西陵で反旗を翻し晋に降った。数ヶ月にわたり篭城したが、頼みの援軍を陸抗(りくこう 陸遜の子)に撃破され平定された。
捕虜として晋に渡っていた孫を除き、歩家の一族は皆殺しとなった。

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