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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―呉・楊竺  孫覇派の讒言魔

楊竺(ようじく)字は不明
徐州広陵郡の人(??~250)

呉の臣。

若くして声望を集めたが、陸遜は彼がいずれ身を誤るだろうと考え、兄の楊穆(ようぼく)へ弟と絶縁するよう勧めた。(『陸遜伝』)

二宮の変が起こると全寄(ぜんき)は孫覇(そんは)派の中核を担い、楊竺とともに毎日のように孫和(そんか)派を讒言した。それにより顧譚(こたん)は配流され、陸胤(りくいん)は投獄された。(『孫和伝』・『陸胤伝』)

吾粲(ごさん)は誰はばかることなく正論を唱え、太子を明確にし孫覇を外へ出し、楊竺を追放するよう意見した。このため孫覇・楊竺の恨みを買い、讒言によりついに処刑された。(『吾粲伝』)

245年、陸遜が没すると、孫権は遺児の陸抗(りくこう)へ、かつて楊竺が讒言した20条の嫌疑を問いただした。陸抗はひとつひとつに条理を立てて反論し、孫権は疑いを解いた。(『陸遜伝』)

250年、孫権は二宮の変に孫和の廃嫡と孫覇の自害で終止符を打った。楊竺は誅殺され、死体を長江へ投げ棄てられた。
兄の楊穆は弟をしばしば止めようとしたため死罪は免れたが、南方へ配流された。全寄も誅殺された。(『孫覇伝』)

裴松之は二宮の変において歩隲(ほしつ)ほどの良臣が「孫覇にへつらい結託し楊竺などと変わりなかった」と嘆いた。(『孫和伝』)

次の異聞がある。
「呉録」に曰く、孫権は楊竺と二人きりで孫覇の才能について論じあった。楊竺の絶賛を受け、孫権は太子に立てることを約束した。側近がベッドの下に隠れてこれを聞いており、太子の孫和に報告した。
孫和はたまたま訪れた陸胤に、このことを陸遜に伝えるよう頼んだ。
陸遜は太子を変えないよう上表し、孫権は楊竺が漏洩したと思い詰問した。楊竺は調査し、陸遜に伝えられたのは陸胤しかいないと報告したが、陸胤は孫和をかばい「楊竺に聞きました」と道連れにした。
楊竺は拷問に耐えきれず偽りの自白をし、もともと彼を疑っていた孫権は処刑させた。(『陸胤伝』)

「演義」ではそもそも二宮の変が起こらないので登場しない。

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