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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―呉・李衡  一粒の種は100万のみかんを生む

李衡(りこう)名は叔平(しゅくへい)
荊州襄陽郡の人(??~??)

兵卒の家に生まれ、後漢末に呉へ移住し帰農した。
ある時、人物鑑識に優れると評判の羊衜(ようどう)を訪ね「多事多難の世で、尚書を補佐し激務を担当する才がある」と評された。
当時、呂壱(りょいつ)が専権を振るって多くの重臣を陥れたが、誰も逆らえずにいた。羊衜は「李衡しか呂壱を追い詰められる者はいない」と抜擢し、李衡は呂壱の悪事と失策を調べ上げ、孫権へ数千言にわたり述べ立てた。孫権は恥じ入り、数ヶ月後に呂壱は誅殺された。

その後、諸葛恪(しょかつかく)の司馬として事務を取り仕切った。(『孫休伝』)
諸葛恪の命を受け蜀に赴き、ともに魏を攻めようと姜維を説得した。(『諸葛恪伝』)

253年、専制を振るった諸葛恪が誅殺されると、李衡は丹陽太守への出向を願い出た。
当時、丹陽の役所で孫休が暮らしており、李衡は妻の習氏(しゅうし)の忠告も聞かず、法律に則って孫休を容赦なく取り締まり、窮屈に思った孫休は会稽へと移住した。

258年、孫休が皇帝に即位すると、意趣返しをされると思い李衡は「お前の言うことを聞かなかったばかりにこんなことになってしまった」と妻に嘆き、魏に亡命しようと言うと、習氏は「あなたには庶民の身から引き立てられた恩があります。それに何度も孫休様へ無礼を働いたのに、今さら疑心暗鬼にかられて保身のために亡命したら、人々に顔向けできません」とたしなめた。

そして習氏は「孫休様はもともと善事や名声を好みます。即位して天下に自身を誇示しようという時に、私怨であなたを殺そうとはしないでしょう。むしろ自ら処罰を乞えば生き延びるどころか厚遇を得られます」と自首を勧めた。
はたして李衡が自首すると、孫休は後に仕えることになる主君を攻撃した故事を引き、李衡は主君のために尽くしただけだと言い、威遠将軍の官位を加増した。

李衡は常々、家業を営み財産をなしたいと考えていたが、習氏に反対されていた。そこで故郷に近い武陵郡に妻に内緒で土地を買い、みかんを千株植えさせ、10人の小作人に世話させた。
李衡は臨終の床で子を呼び「母さんが家業に反対するから我が家は貧乏だが、実は木の奴僕を千人召し抱えている。彼等は衣食も要求せず毎年、絹を一匹ずつ送ってくれるから、それを家計の足しにしなさい」と遺言した。
死後、話を聞いた習氏は「柑橘を植えたのでしょう。小作人が10人いなくなって7~8年経ちます。父さんは司馬遷の「千株のみかんは諸侯の財産に匹敵する」という言葉を好んで口にしていました。私は富貴より徳義を重んじなさいと忠告したものです」と言った。

280年頃には李衡のみかん畑は毎年、絹数千匹もの利益を上げ、家計を潤すようになった。晋の咸康年間(335~342)にその畑の跡地が記録されているという。(『孫休伝』)

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