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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・李異  二人の李異



李異(りい)字は不明
出身地不明(??~??)

「正史」には二人の李異が登場し、同一人物と考えても無理がないため、本記事では同一人物として記す。

はじめは劉焉(りゅうえん)配下の趙韙(ちょうい)に仕えた。
劉焉が没すると趙韙は息子の劉璋(りゅうしょう)を暗愚と見て後継者に据え、裏で操ろうとしたが、意に反して劉璋は従わなかったため反旗を翻した。
李異もそれに従ったが、劣勢に陥ると寝返り、趙韙を殺した。
そうした経緯のせいか211年に張松(ちょうしょう)が劉備を益州に招き入れようとした際、以前に私兵を集めて叛意を疑われた龐羲(ほうぎ)や、李異が謀叛を企んでいると吹き込み劉璋の危機感をあおっている。

益州の李異の記録は途絶え、その後は孫権配下に李異が登場する。
214年、劉備に寝返った法正(ほうせい)は孫権が甘寧、李異を劉備の増援として送ったと劉璋に告げ、降伏を迫った。
もっともこれは劉璋を脅すための方便で実際に李異らが動いたかは定かでない。
また甘寧は益州の出身であり、その甘寧と名前を連ねている(益州攻めにあたり土地勘のある者が選ばれた?)ことから、この孫権配下の李異は益州の李異と同一人物だという傍証にもされている。

219年、陸遜の指揮下で李異は水軍を、謝旌(しゃせい)は陸軍を率いて荊州を攻め、蜀軍の陳鳳(ちんほう)を捕縛。
さらに鄧輔(とうほ)、郭睦(かくぼく)ら近隣の太守を撃破した。

221年、劉備が関羽の仇討ちに乗り出すと李異は迎撃に出たが呉班(ごはん)、馮習(ふうしゅう)に敗北した。
しかし翌222年、陸遜の策略で大勝し、李異は前線に駐屯した。以降は歴史から姿を消す。

「演義」では孫権配下の李異だけが夷陵の戦いに登場。
張苞(ちょうほう)との一騎打ちに敗れた謝旌を救出しようと挑みかかるが苦戦を強いられる。そこに譚雄(たんゆう)が矢を放ち張苞の乗騎を射殺し、あわや張苞の首を挙げかけたが、駆けつけた関興(かんこう)によって一刀両断される噛ませ役を演じた。

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