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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・張紘  孫権の片腕



張紘(ちょうこう)字は子綱(しこう)
揚州広陵の人(??~??)

~経歴~
呉の重臣。

若い頃に都に上がり学問を修めた。声望高く、大将軍の何進(かしん)、太尉の朱儁(しゅしゅん)、司空の荀爽(じゅんそう)ら錚々たる面々に招かれたが固辞し、戦乱を避けて江東に移住した。
のちに孫策と意気投合し配下として迎えられると、袁術(えんじゅつ)のもとから独立し、江東に勢力を築くように進言した。
張昭(ちょうしょう)と並び称され、二人のうちどちらかが必ず孫策に随行し、もう一人は留守を守ったという。

199年、孫策の命で都に赴くと、曹操は張紘に官位を与えて引き止めた。
翌200年、孫策が急死すると曹操は跡を継いだ孫権を攻めようとしたが、張紘は「他人の喪につけ込むべきではない」と反対し、逆に孫権に官位を与え恩を売るよう進言するなど、孫権のために外交工作を行った。
そして降伏勧告の使者を買って出ると、そのまま孫権のもとに戻ってしまい、曹操を手玉にとった。

孫権にも厚く信頼され「東部」と尊称で呼ばれ、張昭とともに外交・計略を任された。
軍事面でも重きを置かれ、張紘の進言はたびたび用いられた。
文才にも長け、外交文書の作成や史書の編纂にも携わり、多くの詩も残しており、建安七子の陳琳(ちんりん)に高く評価された。
孫権の母からも信頼され、孫権の日常的な振る舞いを正すよう忠告できる立場にあったという。

211年、張紘の提案で建業への遷都が実施されると、旧都から孫権の家族を迎え入れる任務を与えられた。
だがその途上に病を得て、間もなく60歳で亡くなった。
孫権に遺書を残しており、それを読んだ孫権は号泣したという。

ちなみに「演義」ではこの遺書により建業への遷都を提案したとアレンジされている。

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