忍者ブログ

夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・孫魯班  謀略の姉



孫魯班(そんろはん)字は大虎(だいこ)
出身地不明(??~??)

孫権と練師(歩夫人)の娘。
周瑜の子・周循(しゅうじゅん)に嫁いだが、周循が早世したため全琮(ぜんそう)に再嫁した。全公主とも呼ばれる。

母が亡くなると孫和(そんか)が太子に立てられ、その母の王(おう)夫人が皇后の候補となった。
魯班はそれを恨み、孫権に繰り返し讒言し撤回させた。そのため孫和に恨まれていると思い、彼を失脚させようと企てた。
策は奏功し、孫和母子は孫権に疎まれ、王夫人は失意のうちに病死した。

さらに孫和の弟・孫覇(そんは)が兄と同等の権力を与えられていたため、孫覇が太子に成り代わる目があると考え、夫の全家や母の歩(ほ)家を味方につけ、孫和派と激しく争った。
讒言により陸遜、吾粲(ごさん)、朱拠(しゅきょ)、張休(ちょうきゅう)ら多くの重臣が処刑され「二宮の変」と呼ばれた大騒動を、孫権は孫和の廃嫡と孫覇の自害によって決着させた。
魯班は処罰されることなく、それどころか代わって太子に立てられた孫亮(そんりょう)に接近し、全家の娘をめとらせた。
また孫権は死の床につくと気弱になり、孫和の無実を悟って召還しようとしたが、この時も魯班の反対によって取りやめたという。

252年、孫権が没すると魯班は実権を握った孫峻(そんしゅん)と密通し、さらに暗躍する。
まず孫和を自害に追い込み後顧の憂いを断ち、次いで孫和の廃嫡に反対していた妹の孫魯育(そんろいく)も無実の罪で殺させた。
孫峻が急死すると、孫亮は孫魯育の無実を知り魯班を詰問したが、今度は孫魯育の子を讒言し、それも処刑させてしまう。
だが258年、孫亮が専横をきわめる孫綝(そんちん)の暗殺に失敗すると、その企てに加わっていた魯班も孫亮とともに流刑を命じられた。
魯班のその後は不明である。

権力争いに血道を上げた三国屈指の悪女とも、手段を選ばず我が一族の繁栄に尽くした烈女とも言われ評価は二分されているが、この恐るべき行動力は間違いなく孫権の血を色濃く受け継いでいたと言えるだろう。

拍手[0回]

PR

コメント

プロフィール

HN:
小金沢
性別:
非公開

P R