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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・孫綝  殺人丞相



孫綝(そんちん)字は子通(しつう)
呉の人(231~258)

呉の国力を傾けた独裁者。
孫権の叔父・孫静(そんせい)の曾孫で、孫峻(そんしゅん)の従弟に当たる。

256年、専横を振るっていた孫峻が急逝すると、後継者に指名された。
傲慢で地位も高くない孫綝に反発し、遠征中だった重臣の呂拠(りょきょ)は滕胤(とういん)を丞相に推挙し、孫綝を抑えつけようとした。
これに対し孫綝は、滕胤を前線に出陣させて追放すると、呂拠を謀叛人とする詔勅を下し討伐軍を差し向けた。
呂拠は汚名を受けることを拒んで自害し、滕胤も殺害され、孫綝は地盤を固めた。

257年、魏の諸葛誕が反乱し寿春に籠城した。孫綝は魏から亡命してきた文欽(ぶんきん)や唐咨(とうし)を援軍に送るも、それに乗じて朱異(しゅい)に孫壱(そんいつ)を攻撃させようとした。
孫壱の弟が呂拠に味方していたことへの報復だったが、危機を察した孫壱は魏へ亡命した。

孫綝は朱異の軍に寿春を包囲する魏軍を攻撃させたが、州泰(しゅうたい)、石苞(せきほう)の反撃により連敗した。
孫綝はさらに攻撃を命じたが、朱異は無謀な突撃を拒否したため、処刑してしまった。
そのうえ孫綝は文欽らを残して撤退してしまい、孤立した諸葛誕は疑心暗鬼に陥り文欽を殺害。文欽の子の文鴦(ぶんおう)らは魏へ亡命し、司馬昭は彼らを厚遇し「かつて呉へ寝返った文欽の子すら厚遇される」と喧伝すると、諸葛誕の配下は雪崩を打って魏へ降伏した。
諸葛誕は捕らえられて処刑され、唐咨も魏に降った。

これまで孫峻・孫綝の傀儡とされてきた幼帝の孫亮(そんりょう)は、長じると自ら政務を執り始めた。
孫綝もしばしば問責されたため煙たがり、宮廷を出て豪奢な屋敷を構えると、一族に兵を与え駐屯させていた。
孫亮は孫綝の暗殺を企んだが、露見してしまい返り討ちにあい廃位された。
その経緯は諸説あるが、孫亮が全紀(ぜんき)に命じて暗殺計画をその父の全尚(ぜんしょう)に伝えさせたが、全尚がそれを不用意に妻に話してしまい、妻は実弟の孫綝に密告した、とする説が非常に間が抜けていて面白い。

孫綝は孫亮の兄である孫休(そんきゅう)を次代の皇帝に据えた。
孫休は孫綝の一族に莫大な贈り物や官位を贈り、油断させつつも裏では暗殺の策を練った。
孫綝はある時、孫休に酒を献上しようとしたが断られ、左将軍の張布(ちょうふ)を訪ねると酔った勢いで孫休の廃位を口走った。
張布がそれを孫休に伝えるといよいよ孫休は暗殺の肚を固め、一方で孫綝は不穏な気配を察し、都を出て武昌への駐屯を願い出た。
都を出られてはもはや孫綝に手出しができなくなると考えた孫休は、祭祀の席での暗殺を狙い、孫綝を招いた。

勘の働いた孫綝は仮病で辞去したものの、孫休の使者はいつになく強引に孫綝を連れ出した。
孫綝は配下に役所でボヤを起こさせ、それを理由に退去しようとしたが、孫休は素早く丁奉に命じてその身柄を拘束させた。
孫綝はその場で首を斬られ、一族の者も全員殺害された。

孫休は孫峻の墓も暴くと副葬品を奪い、孫峻・孫綝を一族の系図から外させ、彼らを故峻(こしゅん)故綝(こちん)と呼ばせたという。

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