忍者ブログ

夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―呉・孫秀  亡国の孫秀

孫秀(そんしゅう)字は不明
揚州呉郡富春県の人(??~302?)

呉の臣。
孫泰(そんたい)の子。

前将軍・夏口督を務めた。
孫皓は彼が皇族の中でも血の繋がりが濃く(孫権の弟の孫にあたる)兵権も持っているため反乱を危惧していた。

270年、孫皓は寵臣の何定(かてい)に5千の兵を預け、夏口で巻狩りをさせた。孫秀は以前から自分が陥れられるだろうという噂を耳にしており、ただの巻狩りではないと疑心暗鬼を生じ、妻子や子飼いの兵ら数百人を引き連れ晋へ亡命した。
晋は彼を驃騎将軍・儀同三司に任じ、会稽公に封じた。(※祖母は曹操の姪(弟の子)であり、すでに魏から禅譲されていたとはいえ、その血統も功を奏しただろう)
孫皓はそれを聞くと激怒し、孫秀の姓を災いを意味する厲(れい)に改めさせた。

280年、呉が滅亡すると晋の朝廷は祝賀ムードに沸き返る中、孫秀は病と称して加わらず、故郷の南を向いて泣きながら「昔、孫策様は20歳の校尉から大業を起こされた。しかし孫皓は江南の地の全てを捨てた。宗廟も陵墓も廃墟となるだろう。はるかなる蒼天よ、亡国の主君はなんという人でなしか」と嘆いた。朝廷をあげて孫秀の言動は賛美された。

その後、官位は伏波将軍に落とされたが、開府はそのまま認められた。(『孫匡伝』)

孫秀は投降者のため人望は高くなく、中央の人々は自分に仕えるのを恥と思うだろうと考え、身分の低い陶侃(とうかん)らを招いた。
陶侃は後に「晋書」に列伝されるほどの名将となった。(『晋書 陶侃伝』)

司馬炎は義妹(妻の妹)の蒯氏(かいし)を孫秀に娶らせた。ある時、蒯氏は口喧嘩の際に夫を狢(南方の獣の意)と罵った。孫秀は激怒し口を利かなくなった。
司馬炎が「三国統一し大赦を行った。君も赦してくれないか」と仲裁し、孫秀は機嫌を直し夫婦仲は睦まじくなった。(『世説新語』)

297年、氐族の斉万年(せいばんねん)が反乱すると、周処(しゅうしょ)が討伐を命じられた。孫秀は彼が死地に追いやられていると気付き「君には老母がいるのだから辞退できる」と勧めた。だが周処は「忠義と孝行は両立できません。親元を離れ主君に仕えれば、父母にも子を思い通りにできません。今日が私の死ぬ時です」と聞き入れず、戦死した。(『晋書 周処伝』)

永寧年間(301~302)に死去し、驃騎将軍・開府を追贈された。
子の孫倹(そんけん)は給事中まで上った。(『孫匡伝』)

同じく呉から晋へ亡命した孫楷(そんかい)に、厳格に身を処した点では勝ったが、名声では及ばなかったという。(『孫韶伝』)

また裴松之は「孫秀・孫楷は晋に極端に優遇されたが、呉の滅亡後に位階を数等も下げられた。これははじめの待遇が度を越していた結果ではなかろうか」と述べている。(『高貴郷公紀』)

拍手[0回]

PR

コメント

プロフィール

HN:
小金沢
性別:
非公開

P R