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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―呉・孫楷  晋へ亡命した孫韶の子

孫楷(そんかい)字は不明
揚州呉郡富春県の人(??~304)

呉の臣。
孫韶(そんしょう)の子。

241年に父が没すると弟の孫越(そんえつ)が後を継いでおり、孫楷は庶子だったと思われる。
孫楷は武衛大将軍・臨成侯となり、孫越の務めていた京下(京城)督を継いだ。
また孫異(そんい)・孫奕(そんえき)・孫恢(そんかい)ら3人の弟もそれぞれ高位に上った。(『孫韶伝』)

258年9月、孫亮を廃位した孫綝(そんちん)は、孫休を次の帝位につけようと考え、宗正の孫楷と董朝(とうちょう)を使者に立て迎えに行かせた。
孫休は魂胆を疑いなかなか応じなかったが、孫楷らに説得され重い腰を上げた。
都につくと孫休はまず孫綝の弟の孫恩(そんおん)と孫楷を面会させ、それから宮廷に入った。
即位すると迎えの礼として董朝を列侯したが、すでに列侯していたからか孫楷には特に礼はなかった。(『孫休伝』)

266年10月、永安の山賊の施但(したん)が反乱した際、孫楷は呉と反乱軍の二股をかけていたと告発する者があり、孫皓に幾度も難詰されたため、怯えていた。(『孫韶伝』)

276年8月(『孫皓伝』)、孫楷は驃騎将軍に任じられ都に召還されると、疑心暗鬼からいよいよ処刑されると考え、妻子や子飼いの兵ら数百人を引き連れ晋へ亡命した。
晋は彼を車騎将軍に任じ、丹陽侯に封じた。

280年、呉が滅亡すると官位を渡遼将軍に落とされた。
304年に死去した。

同じく呉から晋へ亡命した孫秀(そんしゅう)に、厳格に身を処した点では及ばなかったが、名声では勝っていたという。(『孫韶伝』)

また裴松之は「孫秀・孫楷は晋に極端に優遇されたが、呉の滅亡後に位階を数等も下げられた。これははじめの待遇が度を越していた結果ではなかろうか」と述べている。(『高貴郷公紀』)

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