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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・孫堅  江東の虎



孫堅(そんけん)字は文台(ぶんだい)
呉郡富春県の人(155~192)

~経歴~
孫策、孫権、孫尚香らの父。

17歳の時、父とともに訪れた港町で、海賊が略奪を働いていた。孫堅は丘の上から大軍を指揮するような素振りを見せたため、海賊はあわてて逃げ出した。孫堅はそれを追撃し首級をあげ、一躍名を知られるようになった。
呉に赴任すると、軍事的宗教勢力を築き上げていた許昌(きょしょう)をわずかな兵で討伐し、さらに声望を高めた。
黄巾の乱が起こると、官軍の大将・朱儁(しゅしゅん)に見込まれその副将となり、大戦果を挙げた。
しかしある時、孫堅は敵を追撃中に負傷して草むらに倒れた。乗っていた馬がひとりで自陣に戻ったため、すぐに救援が駆けつけたが、このように単独行動を好んだため、しばしば危険な目にあった。

張温(ちょうおん)に従い関中の韓遂(かんすい)を討伐したが、張温(彼は金で高位を買っただけの無能な人物である)の指揮はまずく、また董卓が兵力の消耗を避けてろくに働こうとしなかったため、両者を激しく非難した。
のちに長沙の太守に任じられると、区星(おうせい)の反乱を鎮圧し、さらに任地を越えて隣県の反乱も治め、兵を鍛え上げた。
董卓が都を牛耳り、袁紹、曹操らが連合軍を結成すると、孫堅はそれに呼応すべく北上を開始した。しかし孫堅には私兵程度の戦力しかなく、地盤も後ろ盾もなかった。
そこで北上に当たって邪魔な荊州刺史の王叡(おうえい)を、さらに南陽太守・張咨(ちょうし)を謀殺し、袁術(えんじゅつ)に南陽を与え、その配下になることで董卓追討軍に名を連ねた。
実戦経験の豊富な孫堅軍は強く、勢いを恐れた董卓は都の洛陽に火を放つと、本拠地の関中に近い長安へと強引に遷都してしまった。
ちなみに董卓との戦いの際、孫堅はまたも寡兵でいたところを急襲され、祖茂(そも)の献身であやうく難を逃れている。
さすがに孫堅にも長安まで追撃する余力はなく、都の皇居を再建して忠臣であるとの声望を高めるに留まった。
その頃に玉璽(皇帝の用いる印鑑。覇者の証)を手に入れたという噂が流れたが、事実は明らかではない。

董卓追討軍も自然分裂し、袁術は荊州に入った劉表(りゅうひょう)と争い、孫堅に攻撃を命じた。
孫堅は連勝を重ねたが、黄祖(こうそ)との戦いのさなか、突然の戦死を遂げた。
その最期は追撃中に流れ矢を浴びたとも、待ち伏せにあって落石を受けたとも言われ判然としない。いずれにしても武勇を頼んでの単独行が死を招いたと思われ、その気質は長男の孫策にも受け継がれ、二度目の悲劇を招くことになるのであった。

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