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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・周泰  傷だらけの戦士



周泰(しゅうたい)字は幼平(ようへい)
九江郡下蔡の人(?~?)

~経歴~
呉の勇将。
孫策の挙兵に従い、側近として活躍したことを見込まれ、孫権にもらい受けられた。
だが若く無鉄砲だった孫権はろくに城壁の修理もせず、わずかな兵でいたところを山越に狙われ、窮地に陥った。賊は孫権の馬の鞍に斬りつけるほど肉薄したが、周泰が奮戦しなんとか退けた。周泰は全身に12ヶ所もの傷を負い、人事不省となったが一命はとりとめた。

傷が癒えると周泰はすぐに前線に戻り、黄祖(こうそ)討伐、赤壁の戦い、南郡攻略、合肥の戦いと重要な戦には必ず駆り出され、多くの戦功を挙げた。特に孫権の信頼は厚く、濡須の督に抜擢された。
しかし配下としてつけられた朱然(しゅぜん)、徐盛(じょせい)らは名門の出のため、出自が貧しく叩き上げの周泰をあなどり、命令に従おうとはせず、周泰もやむをえず職を辞そうと考えた。
それを聞いた孫権は自ら視察に訪れると、酒宴の席で周泰を字で親しく呼び、「幼平よ、君は我々兄弟のために命を惜しまず働いてくれた。どうか辞職など考えないでくれ」と説得し、着物を脱がせると、傷痕を一つひとつ指さしては、いつどんな戦いで負った傷なのか細かく尋ねた。さらに孫権は愛用の冠や傘を授け、帰るときには軍楽隊とともに周泰に先導させた。諸将に周泰の命令は自分の命令と同じだと暗に示したのである。
周泰の忠誠と戦功、孫権からの絶大な信頼を知った朱然らは、以降は命令に従うようになった。

魏・呉の連合軍によって関羽が討たれると、孫権は蜀の攻略を考え、周泰を漢中の太守とした。
しかし魏は同盟を破って呉に侵攻し、呉は蜀と同盟を結んだ。周泰の没年ははっきりとしないが、その前後に亡くなったと思われる。
周泰がいなければ孫権は若くして山賊に殺され、孫権なくしては赤壁の戦いは起こらず、曹操がたやすく天下を統一し三国志は成立しなかっただろう。周泰は主君のみならず、三国志ファンをも守ったと言えるかもしれない。

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