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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・吾粲  熱き人格者



吾粲(ごさん)字は孔休(こうきゅう)
呉郡烏程の人(?~245)

~経歴~
呉の将。
卑しい身分の生まれだったが、烏程の県長を務めていた孫河(そんか 孫桓(そんかん)の父)に見出されると、順調に出世を重ね、陸遜らと肩を並べるほどに名声を上げた。

222年、陸遜が夷陵で劉備を破ると、立て続けに魏軍が侵攻してきた。吾粲は呂範(りょはん)、賀斉(がせい)らとともに水軍を率い、曹休(そうきゅう)を迎え撃った。
戦いのさなか、暴風雨に襲われ、次々と船が沈んだ。河に投げ出された兵士は無事な船に乗り移ろうとしたが、船の兵士は転覆を恐れてそれを突き落とした。
だが吾粲だけは配下に命じて、おぼれた兵士たちを救助させた。左右の者は転覆を危ぶんだが、吾粲は「死にかけている人々を見捨てられるものか。転覆したら彼らと一緒に沈むまでだ」と意に介さなかった。
戦後、吾粲は会稽の太守に昇進した。

235年、吾粲は志願兵を募り一軍を編成すると、呂岱(りょたい)とともに山越の討伐にあたり、大功を立てた。
しかし242年、太子の座をめぐってくり広げられた二宮の変で、孫和(そんか)の擁護にまわった吾粲は、対立する孫覇(そんは)や楊竺(ようじく)らの讒言により処刑された。
 


~創作での吾粲~
史実ではいぶし銀の働きを見せた吾粲だが、創作での扱いは軽く、『演義』では孫権に招かれた人物の一人として名前が挙がるだけ。光栄のシミュレーションでは長らく登場すらなかった。
だが『蒼天航路』では赤壁の戦いから早くも活躍し、なんと苦肉の策を考案したのも吾粲ということにされている。その後も呂蒙らの参謀として中心的な役割を果たしているが、作者はなぜ吾粲を抜擢したのかは大きな謎である。

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