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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・厳畯  分をわきまえた男



厳畯(げんしゅん)字は曼才(まんさい)
徐州彭城の人(?~?)

~経歴~
呉の臣。
若いころから学問に通じていた。戦乱を避けて江東に移り、諸葛瑾(しょかつきん)や歩隲(ほしつ)らと並ぶ名声を誇り、親しく付き合った。
自分だけの学問にとどまらず、見込みのある人物には進んで師匠となり教鞭をとった。張昭(ちょうしょう)に推挙され、孫権にもすぐに重用された。
魯粛(ろしゅく)が死ぬと、孫権は後任に厳を立てようとしたが、厳は「私は馬にも乗れず、軍才はありません。後悔することになるでしょう」と固辞した。孫権は代わりに呂蒙を後任に据えた。誰もが厳の分をわきまえた答えに感心した。

厳の旧友の劉穎(りゅうえい)は病気を理由に出仕を断り続けていたが、弟が死ぬとあわてて飛んでいき、それを知った孫権は「仮病だったのか」と激怒し、劉穎を収監しようとした。厳は必死に命乞いして助けたが、孫権の不興を買って代わりに免職されてしまった。
長く謹慎していたが、罪を許され名誉を取り戻し、78歳で死んだ。

政治だけではなく文学者としても優れ、多くの著書を残した。また蜀に使者として赴いたときには、諸葛孔明にも高く評価されたという。

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