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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

三国列伝―呉・刁玄  呉後期の助言役

刁玄(ちょうげん)字は不明
揚州丹陽郡の人(??~??)

呉の臣。

儒者として高名で、劉惇(りゅうとん)を非凡だと称賛した。(『劉惇伝』)

229年、皇太子になった孫登(そんとう)の側近の諸葛恪(しょかつかく)、張休(ちょうきゅう)、顧譚(こたん)、陳表(ちんひょう)は「四友」と呼ばれ、謝景(しゃけい)、范慎(はんしん)、刁玄、羊衜(ようどう)ら賓客(補佐)も評判を取り、多士済々と讃えられた。

241年、孫登は病没し、遺言で「刁玄は度量が広く、ひたすら道の真髄を踏み行う」と評した。(『孫登伝』)

孫亮が宦官に倉庫から蜂蜜を持ってこさせると、中に鼠の糞が入っていた。宦官は倉庫番が入れたと言い、倉庫番はそもそも宦官に蜂蜜を渡していないと言い争った。
侍中の刁玄と張邠(ちょうひん)は裁判官に委ねようと申し出たが、孫亮は糞を割らせ、中が乾いていたことから宦官が入れたばかりだと推理し、刁玄らを感心させた。

256年、五官中郎将の刁玄は蜀へ使いし、孫峻(そんしゅん)死後に頻発した反乱の経緯を知らせた。(『孫亮伝』)

258年、孫基(そんき)が皇帝の馬を盗んで乗り回した罪で投獄された。孫亮に罪の重さを尋ねられた侍中の刁玄は「死刑に値しますが、孫基の父の孫覇(そんは)も亡くなっていることですし、温情を与えてください」と述べた。
だが孫亮は「法は天下の全ての者に平等に適用される。身内(甥)だからといって特別な配慮はできない。お前は孫基を救う法的な手段を考えるべきなのに、なぜ感情論で迫るのか」と叱責した。
刁玄は「恩赦の範囲は陛下の裁量に委ねられます」と返し、納得した孫亮は宮中の者へ限定で恩赦を出し、孫基を赦した。(『孫覇伝』)

刁玄は蜀で司馬徽(しばき)と劉廙(りゅうよく)が行った国家と帝位の行く末についての議論を手に入れ、それを改竄し「最後に天下を制するのは荊州・揚州の主君だ」と記した。
孫皓はこれを読んで気を良くし、さらに中原で「呉の天子が間もなく上ってくる」という歌が流行していると聞き、一族を引き連れ洛陽に向かった。
ところが大雪に遭い、兵士たちが反乱を企てたためあわてて引き返した。(『孫皓伝』※ただしこの逸話は創作も多い「江表伝」に記されている)

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