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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―呉・丁奉  太く長く呉を支えた宿将



丁奉(ていほう)字は承淵(しょうえん)
廬江安豊の人(?~271)

~経歴~
呉の将軍。
若い頃から武勇を知られ、常に先陣を務め手柄を立て続けていたため、生傷が絶えなかった。
魏が諸葛誕らの大軍で攻めよせたとき、呉は諸葛恪(しょかつかく 瑾の子)が迎え撃った。
諸将は「太傅(たいふ 恪の役職)が来たと知れば敵は恐れて逃げ出すでしょう」と追従したが、丁奉は一人冷静に「国内を動揺させてまで敵は遠征してきたのです。手ぶらで帰ることはありません」と戒めた。

丁奉は軍の歩みが遅く、このままでは先に拠点を抑えられてしまうと思い、手勢を率いて先行し、無事に拠点を確保した。
敵は大軍だったため小勢の丁奉をあなどり、近づいても笑いながら酒盛りしていた。しかし丁奉はひるまず切り込み、敵の先鋒部隊を散々に打ち破った。

孫休(そんきゅう 呉の三代皇帝)が即位したとき、国の実権は孫綝(そんちん)が握っていた。孫休は孫綝を誅殺しようと図り、腹心の張布(ちょうふ)に相談した。張布は真っ先に丁奉を推挙した。
召し出された丁奉は「孫綝には配下が多く簡単には殺せません。会合の際に暗殺しましょう」と献策した。策はあたり丁奉は油断していた孫綝を首尾よく斬り殺した。

その後も重用されたが、地位を得た丁奉は次第に傲慢になり、名声を失っていった。
丁奉の死後、讒言によって過去の失敗を掘り起こされ、丁奉の家族は流罪となった。


~民間伝承~
「演義」ではずいぶんと登場が早く、赤壁の戦いの頃から姿を見せているが、その頃にはまだ幼年と思われるので、年齢が合わない。
早くから登場しているのは、どうやら民衆に好まれていたようで、こんな民間伝承がある。

丁奉は常に小さな鉄球を持ち歩き、投げれば百発百中だった。諸葛孔明と戦ったとき、孔明は船に乗って退却していった。
そこで丁奉は鉄球を投げつけ、船の帆を引っ張る滑車を壊した。帆は孔明の部屋に落ち、趙雲はあわてて帆を破り孔明を助けると、船を捨てて逃げ出していったという。

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