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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝――呉・董襲  艦長



董襲(とうしゅう)字は元代(げんだい)
揚州会稽郡余姚県の人(?~215)

呉の将。
八尺(約184cm)の長身で武勇に優れた。
孫策が会稽を制圧した時に出迎えると、一目で気に入られ取り立てられた。
反乱が起きると董襲は自ら頭目2人の首を挙げ、数千の兵を任されるようになった。董襲の旗を見ただけで賊軍は恐れおののいて逃げ出したと伝わる。

孫策が没すると、跡を継いだ孫権は19歳と若く、行く末を案じた母は張昭(ちょうしょう)と董襲を招いた。
董襲は「呉は山と川に囲まれた堅固な土地で、人々はよく従い、内は張昭が治め、外は董襲が呉の爪となり牙となり守っています。何も心配することはありません」と胸を叩き、人々を感心させた。

208年、周瑜、呂蒙とともに江夏の黄祖(こうそ)を攻めた。
黄祖は2隻の軍艦を綱と錨でつないで水路を封鎖し、軍艦に弓兵を揃えて孫権軍を迎撃したため多大な被害が出た。
董襲は凌統とともに先鋒を命じられると、自ら水中に飛び込み、錨と軍艦をつなぐ綱を断ち切った。
軍艦は波に流されて封鎖が解け、それを勝機として孫権軍は黄祖を破った。
孫権は祝勝の宴で董襲に自ら盃を与え「こうして宴を開けるのも、お前が綱を切ってくれたからだ」とねぎらった。

213年(もしくは217年か)濡須口の戦いで董襲は水軍を指揮したが、折からの暴風雨で船が転覆しそうになった。
周囲の者は撤退を促したが、董襲は命令もなしに持ち場を離れられないとそれを拒絶した。しかしあえなく船は転覆し、董襲は溺死した。
孫権は命令を遵守し命を落とした董襲を手厚く弔い、遺族を援助したという。

「演義」では逃亡した厳白虎(げんはくこ)の首を手土産に孫策に降り、親友設定の虞翻(ぐほん)を推挙した。
だがその最期は217年の方の濡須口の戦いで進軍中に暴風雨により船が転覆して溺死と、死因は同じだが、ただの運の悪い死に方になっている。

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