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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・霊帝  後漢を崩壊させた男



劉宏(りゅうこう)字は不明
皇帝としての名は霊帝(れいてい)
洛陽の人か(156~189)

~経歴~
後漢の12代皇帝。

先帝の桓帝(かんてい)に子がなかったことから、168年に桓帝の皇后や重臣の陳蕃(ちんばん)、竇武(とうぶ)らに擁立され即位した。
翌169年、陳蕃らは勢力を強めていた宦官の一掃を目論んだ。しかし計画は事前に露見し、曹節(そうせつ)ら宦官の反撃を受け、謀反の濡れ衣を着せられた陳蕃、竇武は処刑された。
その後も士大夫と宦官は激しい争いを続けたが、宦官は「党錮の禁」と呼ばれる弾圧で反対勢力を排除し、権勢を振るうようになった。

この間、羌族や鮮卑がたびたび境を侵し、各地で反乱も相次いだが、霊帝は酒色に耽るばかりで政治を顧みず、宮殿内で商人の真似事をして遊び暮らしていたため、実権は張譲(ちょうじょう)ら十常侍と呼ばれる宦官に握られていた。

184年、張角による黄巾の乱が勃発。官軍の皇甫嵩(こうほすう)、朱儁(しゅしゅん)や、地方豪族の孫堅、董卓らの奮戦によって鎮圧されたが、後漢王朝の衰退は誰の目にも明らかだった。
その後も韓遂(かんすい)、張純(ちょうじゅん)らが大規模な反乱を起こし、董卓ら野心を抱く者は虎視眈々と力を蓄えていた。
都ではどんな高位でも金さえ払えば買えてしまう「銅臭政治」と呼ばれる売官、賄賂が横行し、そうして官位を得た者たちが中央、地方を問わずむちゃくちゃな政治を行い、いっそう国力を傾けた。

霊帝は劉焉(りゅうえん 劉璋(りゅうしょう)の父)の建議で州牧制を復活させ、また西園八校尉という制度を新設し、皇帝直属の大部隊を編成しようとする(曹操、袁紹らが名を連ねている)など、朝廷の力を取り戻そうとしたが、189年、酒色で身を持ち崩し崩御した。

宦官の重用と暴政により、後漢王朝の権威を没落させた張本人として悪名高いが、西園八校尉の制度は曹操によって改良を加えられた末に、魏やのちの王朝に受け継がれるなど(完成半ばで霊帝は亡くなったため、あくまでも作り上げたのは曹操だが)高い完成度を持っていたという。

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