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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・陳登  曲者父子・子



陳登(ちんとう)字は元龍(げんりゅう)
広陵の人(?~?)

~経歴~
広陵の人。陳珪の子。
はじめは陶謙(とうけん)に仕えた。県令として赴任したとき、灌漑に力をそそぎ、善政をしいたため民に慕われた。
陶謙の死後は劉備に仕え、徐州を呂布に奪われると降伏し、袁術(えんじゅつ)に攻められたときは、父ゆずりの謀略で楊奉(ようほう)、韓暹(かんせん)を内応させ勝利に導いたが、裏では曹操と内通し呂布を滅ぼそうと暗躍した。
曹操が攻め寄せるとすばやく寝返り、先鋒をつとめた功績で、呂布滅亡後は徐州の守備を任された。
その後は孫策に攻められたときには、城にこもり援軍を要請する一方で、城兵に万歳を唱えさせ、援軍が到着したのかと敵を混乱させ、その隙に打って出て大勝するなど、呉軍の侵攻をたびたび防ぎ、東城の太守にのぼった。
太守に就任する際には、陳登を慕う民が多数脱走し、東城までついていったという。
しかし彼にかかわった人々は口をそろえて「非常に驕慢だ」という評価を下している。『演義』でも『正史』でも二面性のあるつかみどころのない人物である。


~逸話~
陳登は名医・華佗(かだ)の患者として意外なところに顔を出している。
刺身を食べて寄生虫にあたり、重態に陥った。華佗の処方した薬を飲み、寄生虫を吐き出し一命をとりとめたが、華佗は「この病は3年後に必ず再発する」と予言した。
3年後、病は再発し陳登は39歳の若さで世を去ったという。

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