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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・金旋  チョイ役太守



金旋(きんせん)字は元機(げんき)
雍州京兆の人(??~209)

~経歴~
武陵太守。曹操の配下と思われる。

名家の出で、朝廷に上がり漢陽太守などそれなりの地位を歴任した。
しかし武陵太守になった後、曹操が赤壁の戦いに敗れて荊州から撤退してしまい、曹操によって任じられたと思われる、金旋ら荊州南部の太守は孤立した。
そこに赤壁の勝利で波に乗る劉備軍が攻め寄せ、金旋は抵抗するもあえなく戦死した。

それから9年後、息子の金禕(きんい)は許昌で反乱を起こした。
許昌を占拠し献帝(けんてい)の身柄を確保し、劉備や孫権の来襲を待つという作戦だったが、失敗して処刑され、金旋の家系は途絶えた。
他国の軍任せの消極的な考えといい、この直後に起きた魏諷(ぎふう)の大規模な反乱未遂と連動しなかったことといい、お粗末な反乱であった。
なにより父の仇である劉備を頼りにしたとは、なんとも皮肉な話である。

「演義」での金旋も武陵太守として史実と同じ役どころで登場するが、ひとりよがりな将に描かれ、腹心の鞏志(きょうし)の意見を退けて出撃するも張飛に敗れ、民や兵を窮地に陥れたことを咎められ、鞏志に射殺されている。鞏志はその功により後任の武陵太守に任じられた。
この後に関羽が長沙を攻めた際、主君を殺して劉備を迎え入れた魏延が、諸葛亮に「恩知らず」と言われてしまうのは、鞏志と比較するとあまりに不憫である。
ちなみに金禕の反乱は「演義」でも描かれるが、金旋の息子だということは伏せられている。チョイ役の金旋にこれ以上のスポットを当てることを避けたためだろうか。

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