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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・辺章  韓遂の最初の相方



辺章(へんしょう)字は不明
涼州金城郡の人(??~??)

はじめの名は辺允(へんいん)。
184年、黄巾の乱に乗じて涼州で反乱した宋建(そうけん)、王国(おうこく)は、土地の名士である辺允と韓約(かんやく)を人質に取り、太守や護羌校尉を殺した。
すると宋建らは辺允と韓約を釈放するとともに、二人を盟主として擁立した。その際に辺允は辺章に、韓約は韓遂(かんすい)に改名したという。

辺章・韓遂の勢力は拡大し、185年に朝廷ははじめ皇甫嵩(こうほすう)と董卓を討伐に差し向けたが、皇甫嵩は朝廷を牛耳っていた十常侍に恨まれていたため、すぐに罷免された。
代わって張温(ちょうおん)が総大将を命じられたが、張温は討伐軍に加わりたいという張純(ちょうじゅん)の要請を無視して公孫瓚(こうそんさん)を従軍させたため、激怒した張純は同郷の張挙(ちょうきょ)、烏桓王の丘力居(きゅうりききょ)とともに挙兵し、辺章・韓遂の乱に匹敵する大規模な反乱に発展した。

しかし張温の兵力は10万に上り、さらに夜中に巨大な彗星が現れ辺章・韓遂の陣営を昼間のように明るく照らしたため、兵は恐慌をきたし総崩れとなり、さんざんに撃破された。
張温は追撃を命じたが董卓は辺章・韓遂に味方する羌族に包囲され、周慎(しゅうしん)は麾下にいた孫堅の兵糧攻めの献策を却下したところ、逆に兵糧攻めを掛けられ大敗した。
張温は6師団のうち実に5師団を敗走させられる大敗を喫したが、董卓の軍だけは一計を案じて無事に撤退した。
またこの時、たびたび軍令違反を犯す董卓を処罰するよう孫堅は求めたが、その兵力を恐れた張温は聞き入れなかったという。

その後、辺章は病没し韓遂が兵を掌握した。一説には韓遂が辺章を暗殺したともされるが確証はない。韓遂の反乱は周知の通り30年にわたり続いていく。

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