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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・許劭  当代一の人物批評家



許劭(きょしょう)字は子将(ししょう)
豫州汝南郡平輿県の人(150~195)

後漢で最も著名な人物批評家。創作などでは名を省き「許子将」と書かれることも多い。
従兄の許靖(きょせい)も著名な批評家で、ともに月に一度「月旦評」と呼ばれる人物評論会を開いていた。
その影響力は絶大で、彼らに称賛された人物は出世し、批判されれば没落した。現代でも「月旦評」は人物批評の意味で使われている。
その批評として最も有名なのが曹操を評した「治世の能臣、乱世の奸雄」である。
また袁紹は批評を恐れて華美な服装を自粛し、質素倹約に務めたという。

曹操をはじめ多くの有力者に招かれたが、許劭はそれを全て断り、戦乱を避けて江南に移住し、劉繇(りゅうよう)に仕えた。
そこでも影響力は衰えず、勇猛だが素行に難のあった太史慈は、許劭に批判されたため重用されなかった。
やがて劉繇が孫策に敗れるとそれに随行したが、病を得て劉繇より先に没した。

許劭の人物評は対象が誰であっても構わず、自らが好ましく思う人物は称賛し、思わない人物は徹底的に批判するもので、私情を交えた不公平なものだと後世の人物にはたびたび批判された。
その一例が従弟の許靖への態度で、はじめはともに活動したものの、仲が険悪になると許靖を黙殺するどころか、裏で手を回して仕官させないようにまでしたため、許靖はやむなく馬を洗う仕事で日銭を得るほどの苦労を強いられたという。

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