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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・華佗  神医



華佗(かだ)華佗は先生や師匠と同じ尊称であり本名は不明
沛国譙県の人(??~208)

~経歴~
伝説的な名医。「神医」と呼ばれ、記録によれば世界初の麻酔手術を行った。
「華佗」とは「先生」を意味する尊称であり本名は不明。言語学的な面から一説によるとイラン系の異民族ではないかとも言われる。

徐州で学び、高名だった。陳珪(ちんけい)らに推挙されたが出仕しようとせず、医療に従事した。
「麻沸散」と呼ばれる麻酔薬を用いて腹部の切開出術を行った。華佗の著書・処方は一切残らなかったため、真偽は不明だがこれは文献に残る限り世界初の麻酔手術であり、江戸時代に華岡青洲(はなおか・せいしゅう)が行い、世界初と認定される麻酔手術に先駆けることなんと1600年である。
また屠蘇や体操による健康法を考案したのも華佗とされ、自身もそれを実践し、百歳を超えているはずなのに若々しい外見を保っていたという。

評判を聞いた曹操の典医となり、持病の頭痛の治療にあたった。しかし当時の医者の身分は低く、大道芸にも等しい物と見られており、華佗はそれを不満に思っていた。
やがて故郷が恋しくなると、医書を取りに行くと称して帰り、そのまま妻の病気を口実に二度と戻らなかった。
激怒した曹操は華佗を投獄し、荀彧(じゅんいく)らが助命を嘆願したものの拷問の末に殺してしまった。

死の直前、華佗は医書を牢番に与えようとしたが、罰を恐れた牢番に断られ、自らの手で焼き捨ててしまい、そのため秘伝は残らなかった。
ちなみに「演義」では牢番は受け取ったものの、こんな物を持っていては身のためにならないと妻に焼き捨てられる、というアレンジが加えられている。

後年、曹操は頭痛が起こるたびに華佗を思い出し、寵愛していた曹沖(そうちゅう)が14歳で亡くなると、華佗を殺したことを激しく後悔したという。


~神医・華佗~
華佗の治療の逸話をいくつか紹介する。

陳珪の子・陳登(ちんとう)を診察し、刺身から寄生虫が感染したと診断した。
薬で吐き出させたものの、3年後にまた再発すると言い、はたしてその通りになったが、すでに華佗は没しており、治療の手立てがないまま陳登も亡くなった。

李通(りつう)の妻が重病になり、華佗は流産した胎児が残っていると診たてた。
李通はそんなはずはないと言ったが、胎児は双子であり、たしかにもう一方がまだ残っていた。

李成(りせい)という者が咳と吐血に苦しんでいた。
華佗は薬を処方し、18年後にまた再発するからと、その分の薬も渡した。
それから数年後、李成の親類に同じ症状を起こす者が現れた。その親類は後で華佗にもらってくるからと頼み込み、18年後の分の薬をもらい受けた。
しかし華佗は間もなく亡くなってしまい、予告通りに18年後、薬を失った李成は病が再発して死んだ。

重病に苦しむある郡守を診たところ、華佗は体に悪い血が溜まっていると診断した。
そこで高額の薬代をもらいながら全く治療せず、挙句に郡守を罵倒する手紙を残して去ってしまった。
郡守は憤怒のあまり何升もの血を吐き、それですっかり快癒してしまったという。

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