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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・禰衡  口は災いの元



禰衡(でいこう)字は正平(しょうへい)
平原の人(173~199)

~経歴~
戦乱を逃れ荊州に避難した。24歳の時、遷都されたばかりの許都に上ったが、誰にも面会しようとせず、自分を売り込む素振りを見せなかった。
ある人が「陳羣(ちんぐん)や司馬朗(しばろう)にあいさつに行かないのか」と問うと、禰衡は「君は豚殺しや酒売りと同じ卑しい者に会いに行けというのか」と怒った。さらに曹操、荀(じゅんいく)、趙融(ちょうゆう)らをこき下ろすなど、才能を鼻にかけて傲慢な態度を取り、誰に対しても酷評を加えたため人々から憎まれたが、この発言で一躍名を知られるようになった。
ただ孔融(こうゆう)、楊脩(ようしゅう)らは認め、孔融にも才を見込まれ、推薦を受けた。(余談だが孔融、楊脩の二人はともに曹操の不興を買って殺されている)
だが禰衡は発狂したと偽り仕官を断った。曹操は招きを反故にされ怒ったが、孔融の賞賛を聞いていたので罰しようとはしなかった。

ある日、曹操は禰衡が太鼓の達人だと聞き、演奏を命じた。禰衡もこれには応じ、見事な腕前を披露した。だが打ち間違いがあり、失敗した者は服を着替えるという罰則があったため、その場で服を脱ぐよう命じられた。すると禰衡は悠々と服を脱ぎ捨て全裸になり、顔色ひとつ変えなかった。それを見た曹操は「禰衡に恥をかかせようと思ったのに、私が恥をかいたな」と笑った。

その後、孔融の強い勧めで禰衡はしぶしぶ曹操にもう一度面会した。だが禰衡は門の前に座り込むと大声で曹操の悪口を言い始めた。
さすがに曹操も堪忍袋の緒が切れ「禰衡には中身はともかく名声がある。もし殺したら人々に誹謗されるだろう」と考え、荊州へと追放してしまった。
荊州に向かう前、禰衡の送別会が開かれた。だが列席する人々はみな禰衡にこき下ろされていたので、仕返しに狸寝入りをして無視を決め込んだ。
すると禰衡は号泣し「座っているのは棺桶、伏しているのは屍だ。棺桶と屍の間を通らなければならないとは」と最後まで憎まれ口を叩いた。

禰衡は荊州を治める劉表(りゅうひょう)に対しては、「八俊」に数え上げられる名士ということもあり、いちおうの敬意を払ってか下手に出ていた。
だがその配下には横暴に振る舞ったため、讒言を受けて劉表のもとからも遠ざけられた。
江夏太守の黄祖(こうそ)の子・黄射(こうしゃ)と仲良くなり、父の黄祖に引き合わされた。だがそこでも黄祖を悪し様に罵ったため、短気な黄祖は禰衡を殺してしまった。

『演義』では荀らを中傷した逸話をふくらませ、曹操配下の主だった面々を、性格や身体的特徴をふまえて罵らせている。
ちなみに中国では「曹操を正面から罵倒した男」として民衆の間では人気が高いらしい。

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