忍者ブログ

夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・曹騰  曹操の祖父



曹騰(そうとう)字は季興(きこう)
豫州沛国譙の人(??~??)

後漢末の宦官。血の繋がりはないが曹操の祖父にあたる。
幼くして頭角を現し、後の順帝である太子の劉保(りゅうほ)の学友に抜擢された。
125年、順帝が即位すると重用され、4代の皇帝に30余年にわたり仕え、ただの一度の失敗も無かったと伝わる。
順帝はもともと太子の座から廃されていたが、宦官の助けにより実権を握っていた太后を破り即位できたことを感謝し、宦官に養子を取り家名を継がせることを認めた。
曹騰もこれにより曹嵩(そうすう)を養子に取り後を継がせた。相続は原則として同姓の者しか認められなかったが(曹嵩はもともと夏侯氏で夏侯惇の叔父にあたるとされる)皇帝に目を掛けられていた曹騰は特例で見逃された。
だがその子である曹操が後漢王朝を傀儡に実権を握り、さらに孫の曹丕によって滅亡に追いやられたのは歴史の皮肉である。

曹騰は孫の曹操と同じく人材好きで、張温(ちょうおん)、張奐(ちょうかん)ら多くの無名の人物を見出したが、見返りを求めず恩に着せることもなかった。
ある時、益州刺史の种暠(ちゅうこう)は曹騰が贈賄を持ちかけられた書状を入手し、弾劾した。
だが時の皇帝は、誘われただけで曹騰が自ら望んだわけではないとしてそれを退けた。
この一件を曹騰は恨まず、かえって种暠の公正さを讃えた。後に种暠は三公の位に上ると、誤解から弾劾し、逆に自分が罷免されてもおかしくなかったところを、むしろ引き立ててくれたことに感謝し、今日の自分があるのは曹騰のおかげであると語ったという。

生没年は不明だが160年前後に没したと思われる。

229年、玄孫の曹叡(そうえい)によって曹騰とその妻の呉氏(ごし)に皇帝・皇后の諡号が贈られた。
中国の長い歴史の中でも、諡号とはいえ宦官でありながら皇帝の座についたのは曹騰ただ一人である。

拍手[1回]

PR

コメント

プロフィール

HN:
小金沢
性別:
非公開

P R