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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・張純&張挙  地元じゃ負け知らず

 

張純(ちょうじゅん)&張挙(ちょうきょ)ともに字は不明
幽州漁陽郡の人(??~189)

後漢の官吏。張純は中山郡の、張挙は泰山郡の太守と思われる。
187年、涼州で反乱した韓遂(かんすい)の討伐軍が編成された際、采配を振るう張温(ちょうおん)が自分を差し置き公孫瓚(こうそんさん)を抜擢したことを恨み、張純は同郷の張挙を誘い挙兵した。
付近の太守を次々と殺し、張挙は天子(皇帝)を、張純は弥天将軍・安定王を僭称し、そこに烏桓の単于(王)丘力居(きゅうりききょ)も加わり、韓遂らをも上回る大規模な反乱となった。(なお烏桓に対処するため公孫瓚は討伐軍を離れており、張温は二重にしくじっている)

兵力は5万を超え青州・冀州・幽州を股にかけ荒らし回ったが、烏桓に絶大な支持を受ける劉虞(りゅうぐ)が幽州刺史として赴任すると丘力居が離反し、足並みが乱れた所を公孫瓚らによって撃破された。
張純・張挙は妻子を捨てて鮮卑のもとへ逃亡しようとしたが、その途上で張純は部下の王政(おうせい)に裏切られ首を獲られた。
一時は皇帝まで名乗った張挙のその後の消息は不明だが、生き長らえたとは考えにくい。

「演義」では経緯は詳しく描かれないものの史実と同様に反乱。張純が殺されると、張挙も逃げ切れないと悟り自害した。

一連の反乱は僭称した地位では張挙の方が高位なものの、そもそもの首謀者である張純の名を冠して「張純の乱」と一般的には記されることが多い。

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