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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・劉虞  スキル「異民族◯」持ち



劉虞(りゅうぐ)字は伯安(はくあん)
徐州東海郡郯県の人(??~193)

後漢の光武帝の末裔。魏の劉曄(りゅうよう)は縁戚にあたる。
出身県を皮切りに出世を重ね幽州刺史に上った。付近の異民族は劉虞の威徳に打たれ貢ぎ物を献じるようになった。
病を得て退官し帰郷すると、人々は裁判沙汰が起こると役所ではなく劉虞に裁定を仰ぎ、劉虞も公平な裁きを下したという。

184年、黄巾の乱を機に復帰し重職を歴任した。
187年、張純(ちょうじゅん)と張挙(ちょうきょ)が烏桓の単于(王)丘力居(きゅうりききょ)とともに大規模な反乱を起こすと、劉虞は幽州牧に任じられ鎮圧にあたった。劉虞の人望は烏桓の間でも厚かったため丘力居は戦わずして降伏し、後ろ盾を失った張純らも敗走し、反乱は終結した。
191年、袁紹は劉虞を皇帝に擁立しようとしたが、それを拒絶した。

その頃、献帝(けんてい)は董卓の手で長安に移されていたが、洛陽への帰還を考えており、劉虞の使者が着くと、朝廷に出仕していた劉虞の子・劉和(りゅうか)を同行させ、協力を仰ごうとした。
劉和はその途上、袁術(えんじゅつ)に引き止められ、劉虞が兵を送れば献帝救出のために自分も兵を出すと告げた。
公孫瓚(こうそんさん)は袁術があわよくば覇権を奪おうと狙っていることを見抜き、それを断らせようとしたが、劉虞は兵を派遣した。
公孫瓚は袁術に恨まれることを恐れ、劉和から兵を奪うように袁術をそそのかしたため、劉虞との仲は険悪になった。
兵糧の援助を減らすと、公孫瓚は物資を強奪したため、劉虞はついに公孫瓚の討伐を考えたが、腹心の魏攸(ぎゆう)に止められた。

193年、魏攸が没すると劉虞を止める者はなく、公孫瓚を討伐するため異民族を含む10万の兵を集めた。
程緒(ていしょ)は「公孫瓚の悪事は明白だが、あなたが処罰する名目も勝算もない。無理に戦わず降伏を待つべきだ」と諌めたが、劉虞は士気を落とす発言だと激怒し、程緒を殺した。それにより劉虞軍はかえって混乱し、配下にいた公孫紀(こうそんき)は同族で親しくしていた公孫瓚に軍の動きを詳細に密告した。

公孫瓚は民衆を盾にして籠城した。劉虞は「斬るのは公孫瓚ただ一人だ」と民衆を傷つけないよう厳命したため、劉虞軍は身動きがとれなくなった。
その隙に公孫瓚は奇襲をかけ劉虞を捕らえてしまった。
人々は助命を嘆願したが、公孫瓚は「皇帝になれるほどの人物ならば雨くらい降らせるはずだ」と雨乞いを要求し、結局降らなかったため「皇帝を僭称しようとした逆賊」だと劉虞を処刑した。
これにより公孫瓚は人望を失い、また劉虞を慕っていた烏桓族とも敵対することになり、勢力を衰退させた。
また後に劉和は袁紹に兵を預けられ、公孫瓚の討伐に貢献した。

劉虞は質素倹約を信条とし、冠が破れても穴をつくろって使い続けていた。
しかしその死後、彼の家を捜索すると妻妾は華美な服装をしており、人々は劉虞の本性を疑ったという。

なお「演義」には一切登場しない。

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