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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・公孫度  遼東王



公孫度(こうそんど)字は升済(しょうせい)
遼東襄平の人(?~204)

~経歴~
後漢末の群雄。遼東に独立国にも等しい勢力を築いたため、歴史家の中には三国時代は公孫氏の遼東を加え「四国時代」と呼ぶべきだと意見する者もいる。

父が仕えていた公孫琙(こうそんゆう)の早死にした息子と同名だったためかわいがられ、援助を受けて学問を修めた。
長じると冀州刺史に昇進するが、讒言を受けて罷免された。だが董卓が都の実権を握ると、友人の徐栄(じょえい)の推挙を受け、遼東太守に任じられた。
しかし都から遠く離れた遼東には有力豪族がひしめいており、赴任した公孫度は軽んじられた。
すると公孫度は豪族たちを次々と罠にはめ、罪を与えて百余家を滅ぼし、牛耳ることに成功した。
公孫氏は以降、遼東で独立国の様相を呈することとなる。

公孫度の支配は遼東だけに留まらず、周囲の烏丸や高句麗を討伐し積極的に領地を広げた。
董卓ののちに実権を握った曹操はそれを賞し官位を与えたが、公孫度は不服を覚え、印綬を蔵に放り込むと自らを「遼東王」と称した。

その野望は息子の公孫康(こうそんこう)、孫の公孫淵(こうそんえん)に脈々と受け継がれ、袁紹、次いで曹操が台頭すると、抜け目なく従属を申し出、その一方で呉の孫権ともよしみを通じ半独立を保った。
しかし孫の公孫淵は238年、「燕」を建国しはっきりと独立を宣言したため、司馬懿の討伐を受け、あえなく滅亡の憂き目にあうのだった。

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