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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・袁譚  名実ともに袁紹の後継者



袁譚(えんたん)字は顕思(けんし)
汝南郡汝陽の人(?~205)

~経歴~
袁紹の長男。兄弟のなかでは年長らしく慎み深かったが、袁紹は三男の袁尚(えんしょう)を溺愛し、あとを継がせようと考えた。
そのため袁紹は、袁譚を兄の袁基(えんき)の養子とし、青州に出向させた。
沮授(そじゅ)は「年長者があとを継ぐのが古来よりの定めである」といさめたが、袁紹は「息子たちに一州ずつ任せ、能力を確かめるのだ」と言い訳をして取り合わなかった。沮授は「災禍はここから始まるのか」と嘆いた。

青州は未開の土地で、民衆は歓迎したが、親元を離れ気の大きくなった袁譚は浅薄な連中のおだてに乗せられ、悪行の限りを尽くした。
妻の弟に兵を与え、盗みを働かせたり田畑を荒らさせたり、ワイロを払ったものは見逃し、払えなかったものを徴兵し、山野で暮らしていた貧民をまるで狩りをするように襲った。
万引き・畑荒らし・ホームレス狩りとまるで田舎の不良である。
政治はむちゃくちゃで、一万を超える世帯の都市でも、戸籍には数百世帯しか記されず、まるで兵も税も集められず、徴兵に応じないものを処罰することすらできなかった。

官渡の戦いののち、袁紹が死んだが、後継者はまだ決まっていなかった。逢紀(ほうき)や審配(しんぱい)らはかねてから袁譚に恨まれており、あとを継がれたら危害を加えられると恐れ、遺書を偽造して三男の袁尚にあとを継がせた。
袁譚はわずかな兵を与えられ、逢紀を目付け役につけられた。だが軍備の増強を訴えて、反対されたために逢紀を殺した。
曹操の追撃が始まると、やむなく兄弟は手を結んだが連戦連敗。どうにか曹操軍を追い返すと、袁譚は追撃を提案したが、袁尚は彼を疑って意見を聞こうとしない。
激怒した袁譚はついに袁尚を攻撃するが、戦の才能は弟のほうが上で、これまた連戦連敗。
腹心の郭図(かくと)の案で、曹操に袁尚を攻めさせ、曹操が袁尚を打ち破る裏で、袁譚は次々と袁尚の残党を集めた。
曹操は袁譚の暗躍に気づいていたが、あえて黙認しついに袁尚を敗走させた。すると返す刀で袁譚の暗躍を違約と責めたて縁を切り、激しく攻撃した。

袁譚は生来の戦下手のようで、突撃しては自分だけ突出し、奇襲をかけようとしては配下が集まらず、あっという間に追い込まれた。
髪を振り乱しながら逃げ、馬から落ちると、追撃してきた敵に「私を見逃してくれたら褒美をやろう」と言ったが、その言葉が終わる前に首はなくなっていた。

かねてより兄弟の不仲をいさめ、冷遇されていた王脩(おうしゅう)は、袁譚の死を聞くと号泣し、遺体の受け取りに曹操のもとを訪れた。
曹操は「袁譚の死を嘆くものは妻子もろとも処刑する」と通達していたが、王脩はさらされた袁譚の首の前で号泣し、人々を感動させた。
王脩は「遺体を埋葬したあとに私を処刑してください」と訴え、曹操は「義士である」と赦し、袁譚は手厚く葬られた。
王脩はこの出来事から名を知られ、魏でおおいに重用された。

こんな忠誠の臣がそばにいたことに、まったく気づかなかった袁譚。
その人を見る目のなさは、確実に袁紹の後継者であった。

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