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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・袁煕  ネトラレお兄ちゃん



袁煕(えんき)字は顕奕(けんえき)または顕雍(けんよう)
豫州汝南郡汝陽県の人(??~207)

~経歴~
袁紹の次子。袁譚(えんたん)の弟、袁尚(えんしょう)の兄。
曹丕の妻・甄姫の元の夫でもある。

202年、官渡の戦いに敗れた袁紹が後継者を決めないまま没すると、長子の袁譚と両親に寵愛された袁尚との間で醜い跡目争いがくり広げられた。
だが袁煕は公孫瓚(こうそんさん)を滅ぼした後の幽州を治めており任地が遠く、また当人も野心を持たなかったのか争いには加わらず中立を保った。

204年、曹操に降伏するという愚策をとった袁譚に敗れた袁尚は、次兄の袁煕を頼った。
袁煕は弟を迎え入れたが、それを快く思わない配下は多く、次々と離反したため、兄弟は幽州を捨てて烏丸族のもとへ落ち延びた。
だが曹操は万里の長城を越えて進軍し、烏丸王・蹋頓(とうとん)を討ち取った。
袁煕兄弟は辛くも遼東の公孫康(こうそんこう)のもとへ逃げ出した。
公孫康は曹操の目を恐れ、袁煕兄弟を殺して曹操への手土産にしようと考え、二人を偽って歓迎した。
袁煕は警戒したが、袁尚は逆に公孫康から軍勢を奪い取ろうと構わず向かい、二人はたやすく捕らえられた。
いざ首を斬られるというとき、袁尚は寒がってむしろを求めたため、袁煕は(公孫康の言ともされる)「首が万里の旅に出るのに、なぜ今さらむしろが必要なのだ」と呆れ返ったという。


~曹叡の実父説~
曹丕の子で二代皇帝・曹叡(そうえい)の父は袁煕である、という説がある。
というのも、「正史」に曹叡は239年に36歳で没したとあり、逆算すると204年に生まれたことになるのだが、この時はまだ曹叡の母である甄姫は袁煕の妻であり、幽州に単身赴任した夫の留守を守り、父母の世話をしているのだ。
曹叡は嫡男でありながら父の曹丕に疎まれ、臨終の間際にようやく後継者として認められており、疎まれた理由は謎とされているのだが、「正史」の記述をそのまま信じると曹丕の実子ではないからだ、ということになる。

しかし裴松之はこれを単なる誤記であろうと推測しており、「正史」から推定される曹叡の年齢以外に証拠がないことから、奇説の域を出ていない。
単純に考えるならば、曹叡が父に疎まれたのは、三国一性格の悪い男・曹丕のなによりの趣味である「他人いびり」の手が息子にも伸びていただけ、といったところだろう。

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