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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・田豊  剛直さ、身を滅ぼす



田豊(でんほう)字は元皓(げんこう)
鉅鹿の人(?~200)

~経歴~
袁紹の謀臣。
博学で親孝行だったため若くして名を知られた。朝廷に召されたが宦官の専権に嫌気がさし帰郷した。
審配(しんぱい)とともに韓馥(かんふく)に仕えたが、率直にものを言ったためうとまれた。袁紹が韓馥に地位を譲られると、それに従う。
だが他の謀臣らと同じように、袁紹に苦しめられることになる。

曹操が皇帝を迎え入れたときや、張繍(ちょうしゅう)と戦っているときに、田豊は「いまこそ都を襲い天子を奪回すべき」と提案したがどちらも拒否された。
公孫瓚(こうそんさん)を破り、いよいよ曹操との決戦に乗り出そうとするとき、劉備が曹操を裏切って挙兵した。田豊は「曹操の背後を狙うべし」と勧めたが、袁紹は子供の病気を口実に却下した。田豊は杖を地面に叩きつけて「もう終わりだ。たかが赤子の病気で好機を逃がすとは愚かなことだ」と嘆いた。それを聞いた袁紹は怒り、田豊をうとんじるようになった。
曹操は劉備を破り、子供の病気も治るとようやく袁紹は重い腰を上げた。だが田豊は「好機は去った」と反対した。袁紹は聞き入れず、全軍の士気を落としているとして田豊を牢屋に入れた。田豊が従軍しないことを聞いた曹操は喜色をあらわにしたという。

予想通り袁紹は大敗し、誰もが「田豊さえいればこんなことにはならなかった」と思った。ある人が田豊に「あなたは赦免され、これから重用されるだろう」と言うと田豊は首を振り、「袁紹様は外見は寛容だが、猜疑心の強い方だ。勝っていれば笑って私を許しただろうが、負けたからには私を生かしてはおくまい」と言った。
袁紹は最初は「戦いの前に田豊だけが敗北を予想していた。私は合わせる顔がない」と反省していたが、かねてより田豊を憎んでいた逢紀(ほうき)が「彼は敗北を聞いて大笑いし、自分の言葉が当たったと喜んでいます」と讒言したため、袁紹は田豊を殺してしまった。
 
荀彧(じゅんいく)はかつて田豊を「剛毅にすぎて主君に逆らう」と評した。度量の狭い袁紹に仕えたことが田豊の大きな過ちであった。

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