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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・陳宮  主従ともに裏切り人生

  

陳宮(ちんきゅう)字は公台(こうだい)
東郡武陽の人(?~198)

~経歴~
呂布の謀臣。
剛直な壮士で若くして多くの人々と交友があった。郡の太守となった曹操に仕える。
兗州を治めていた劉岱(りゅうたい)が戦死すると、代わりに兗州を治め覇権の足がかりにするよう提案した。
だが曹操が陶謙(とうけん)を征伐すると、その隙をつき張超(ちょうちょう)や許汜(きょし)、王楷(おうかい)らと共謀して謀反を起こした。
さらに張超の兄で曹操の旧友の張邈(ちょうばく)を「曹操の留守を襲い、呂布を迎え入れれば天下を狙える」とそそのかした。張邈は常々、曹操と袁紹にはさまれた情勢に危機感を抱いていたため、すぐに同意した。
しかし荀彧(じゅんいく)や夏候惇の反抗により出足でつまずき、陶謙が死んだため曹操は楽に軍を引き返し、次々と反乱軍を打ち破った。呂布は劉備を頼って落ちていった。
劉備の軍勢を奪い勢力を盛り返すが、曹操の大軍が迫ると呂布は降伏を考えた。しかし陳宮が「降伏しても許されるはずがない」と説得したためとりやめた。
この頃には、陳宮は部下の反乱に共謀したり、呂布は陳宮の献策を妻の言葉で却下したりと、たがいに信頼を失っていた。
城を包囲されてから数ヵ月後、侯成(こうせい)らの反乱により陳宮は捕らえられ、呂布も抗戦をあきらめ降伏した。
陳宮がつれてこられると、曹操は以前のように笑いながら「お前はいつも知略がありあまっていることを自慢していたが、いまでもそうかね?」と尋ねた。
陳宮は呂布を指し「彼が私の言うことをまるで聞かないからこうなっただけだ。私の策が用いられていれば捕虜になることはなかった」と答えた。
曹操は陳宮の才を惜しみ説得を重ねたが聞き入れず、老母と妻子の世話を頼んで自ら刑場へ走っていった。曹操は涙を流したが陳宮は振り返りもしなかった。

陳宮の死後、曹操は彼の家族を手厚く保護し、娘には夫を探してやったという。

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