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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

三国列伝―その他・軻比能  鮮卑の大人



軻比能(かびのう)
鮮卑族(??~235)

鮮卑族の大人(族長)。
もともと鮮卑の中でも勢力の劣る部族の出身だが、勇敢かつ公平で物欲を持たず、大人にふさわしいと推されその地位についた。
袁紹が北方に版図を拡大すると、その支配を嫌い多くの漢民族が鮮卑に庇護を求めた。彼らに簡単な文字を習い、武具の作り方や近代的な戦術を教えられ、軻比能の兵は精強さを増した。

207年、袁紹を破った曹操が北方へ勢力を伸ばし烏桓の蹋頓(とうとん)を斬ると、軻比能は歩度根(ほどこん 同じく鮮卑の大人)らとともに閻柔(えんじゅう)を通じて貢物を届けた。
211年には潼関の戦いに際し、軻比能が援軍を出して反乱軍を破るなど曹操との関係は良好だった。

218年、烏桓の能臣氐(のうしんてい)が反乱を起こし、歩度根の兄・扶羅韓(ふらかん 鮮卑の大人)を頼ろうとしたが、兵が統率されていないと感じ密かに軻比能と手を結んだ。
軻比能は能臣氐、扶羅韓と同盟を結ぶと見せかけ、その席上で扶羅韓を殺し軍勢を奪った。一気に勢力を拡大した軻比能は曹操に反旗を翻したが、曹彰(そうしょう)の討伐軍に大敗すると、また服従した。

軻比能は暗殺した扶羅韓の子・泄帰泥(せつきでい)に目を掛けたため、兄を殺されたうえ甥に地位を奪われつつあった歩度根は大いに不満を抱いた。
歩度根は魏によしみを通じ軻比能と戦うも、劣勢に陥ると配下の1万戸あまりを率いて魏の勢力圏に逃亡したが、泄帰泥を説き伏せて引き抜くことには成功した。

222年、軻比能は素利(そり)、弥加(やか)ら鮮卑の大人と連携し、魏と交易を始めた。
魏の護鮮卑校尉の田豫(でんよ)は鮮卑族が結託することを危惧し、裏で手を回して彼らが争うように仕向けた。
やがて素利が魏に通じるようになり、さらに牽招(けんしょう)が歩度根を動かし軻比能を攻撃させ、田豫とともに自ら兵を率いて鮮卑の軍を打ち破ったため、軻比能は魏を信用しなくなった。

228年、軻比能の娘婿である鬱築鞬(うつちくけん)に使者を殺された田豫は兵を率いて報復したが、帰途に軻比能の軍に包囲された。
この時は牽招が救出し(閻柔の弟が仲裁に入ったとも伝わる)事なきを得たが、軻比能は蜀と連携して戦いを始めた。
233年、軻比能は仇敵の歩度根と和解すると大軍を催し、多くの魏の将を討った。
しかしすぐに仲間割れを始め、歩度根は軻比能に殺され、泄帰泥は魏へ降伏した。

そして235年、幽州刺史の王雄(おうゆう)が派遣した暗殺者によって軻比能は殺された。
王雄は軻比能の弟に跡を継がせ、中心人物を失った鮮卑はその後、270年に禿髪樹機能(とくはつじゅきのう)が叛くまで大きな反乱を起こさなかった。

「演義」での軻比能は羌族の王とされ、魏に協力し10万の大軍で蜀に攻め込むも、馬超にあっさり撃退された。

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